西 暦
|
日 付
|
年 譜
|
1777
|
3月17日 |
父パトリック・ブロンテ、誕生 |
1783
|
4月15日 |
母マリア・ブランウェル、誕生 |
1802
|
10月1日 |
パトリック、聖職者になるためにケンブリッジ大学セント・ジョンズ・コレッジに入学 |
1806
|
10月 |
パトリック、エセックス州ウェザーズフィールドの助任司祭に就任 |
1811
|
3月3日 |
パトリック、ヨークシャー州ハーツヘッド=カム=クリフトンの終身助任司祭に転任 |
1812
|
4月11日 |
パトリックの教区内で、ラダイトたちがウィリアム・カートライトのローフォウルズ・ミルを襲撃 |
|
7月 |
パトリック、リーズ近郊のウッドハウス・グローヴ・スクールで古典の試験官になり、そこでマリアと知り合う |
|
12月29日 |
パトリックとマリア、リーズ近郊のガイズリーの教会で結婚 |
1814
|
(おそらく)1月 |
長女マリア誕生 |
1815
|
2月8日 |
次女エリザベス誕生 |
|
5月19日 |
パトリック、ソーントンの終身助任司祭に転任 |
1816
|
4月21日 |
三女シャーロット誕生 |
1817
|
6月26日 |
長男ブランウェル誕生 |
1818
|
7月30日 |
四女エミリ誕生 |
1820
|
1月17日 |
五女アン誕生 |
|
4月10〜20日の間 |
パトリック、ハワースの終身助任司祭になり、ブロンテ一家、ハワースに引越 |
1821
|
5月上旬 |
母マリアが病床に臥し、マリアの姉エリザベス・ブランウェルがペンザンスから看病のため到着。以後ブロンテ一家の一員として暮らす |
|
9月15日 |
母マリア、癌により死去(享年38歳) |
1824
|
7月21日 |
長女マリアとエリザベス、カウアン・ブリッジにあるクラージー・ドーターズ・スクールに入学 |
|
8月10日 |
シャーロット、カウアン・ブリッジに入学 |
|
11月25日 |
エミリ、カウアン・ブリッジに入学 |
1825
|
2月14日 |
長女マリア、病気のためカウアン・ブリッジを退学 |
|
5月6日 |
長女マリア、結核により死去(享年11歳) |
|
6月1日 |
パトリック、娘たちの病気を案じ、シャーロットとエミリをカウアン・ブリッジから退学させる |
|
6月15日 |
エリザベス、結核により死去(享年10歳) |
|
6月5日 |
パトリック、ブランウェルへの土産として、リーズから12体の木製兵隊人形を持ち帰る。ブランウェルと三姉妹はこれらの兵隊を主人公にして、「アングリア」をはじめ、シャーロットが23歳となる1839年まで膨大な初期作品を生み出していく |
1826
|
1月17日 |
シャーロット、デューズベリー近郊のマーフィールドの、マーガレット・ウラー女史が経営するロウ・ヘッド・スクールに入学。ここで、生涯の友、エレン・ナッシーとメアリ・テイラーに出会う |
1834?35
|
7月29日 |
シャーロット、教師としてロウ・ヘッド・スクールに赴任(〜1838年12月まで)。エミリは生徒としてロウ・ヘッド・スクールに入学 |
1835
|
10月末 |
エミリ、体調を崩し、ロウ・ヘッドを去り、代わりに、アンが同校に入学 |
1838
|
9月下旬 |
エミリ、ハリファックス近郊サザラムにあるロー・ヒル校に音楽の教師として赴任(〜1838年3月まで) |
1839
|
4月8日 |
アン、マーフィールド近郊の、ブレイク・ホールのインガム家のガヴァネスになる(〜12月まで) |
|
5月 |
シャーロット、スキプトン近郊の、ストーンギャップのシジウィック家のガヴァネスになる(〜7月まで) |
|
8月19日 |
ウィリアム・ウェイトマン、ハワース教会の助任司祭になる |
|
12月31日 |
ブランウェル、湖水地方ブロートン=イン=ファーネスの、ポスルスウェイト家の家庭教師になる(〜1840年6月まで) |
1840
|
5月8日 |
アン、ヨーク近郊、ソープ・グリーン・ホールのロビンソン家のガヴァネスになる(〜1845年6月まで) |
|
10月5日 |
ブランウェル、リーズ・アンド・マンチェスター鉄道のサワービー・ブリッジ駅の駅員になる |
1841
|
3月2日 |
シャーロット、ブラッドフォード近郊のロードンにあるアッパー・ウッド・ハウスのホワイト家のガヴァネスになる(〜12月まで) |
|
4月1日 |
ブランウェル、ラデンデン・フット駅の主任事務員に昇進。 |
1842
|
2月15日 |
シャーロットとエミリ、ブリュッセル旧市街イザベル通りのエジェ寄宿女学院に生徒として入学 |
|
3月4日 |
ブランウェル、使途不明金の責任を問われ、リーズ・アンド・マンチェスター鉄道を解雇される |
|
8月 |
シャーロットとエミリ、エジェ寄宿女学院で教師として働き学費を免除され、生徒兼教師になる |
|
9月6日 |
ウィリアム・ウェイトマン、コレラで死去(享年28歳) |
|
10月29日 |
ブランウェル伯母死去(享年66歳) |
|
11月8日 |
シャーロットとエミリ、ハワースに帰国 |
1843
|
1月 |
ブランウェル、アンの紹介でソープ・グリーン・ホールの、ロビンソン家の家庭教師になる(〜1845年7月まで) |
|
1月27日 |
シャーロット、単身で再びブリュッセルのエジェ塾へ赴くが、年末には退学 |
1844
|
1月3日 |
シャーロット、フランス語の教員免許取得後、ハワースに帰宅 |
|
8月 |
シャーロット、姉妹でハワースにて学校開設を目指すが、生徒が集まらなかったため10月に断念 |
1845
|
5月25日 |
アーサー・ベル・ニコルズ、ハワース教会の助任司祭になる |
|
10月 |
シャーロット、エミリとアンの詩稿を見て、詩集の出版を計画 |
1846
|
5月 |
『カラー、エリス、アクトン・ベル詩集』出版 |
1847
|
7月 |
トマス・コートリー・ニュービー社、『嵐が丘』、『アグネス・グレイ』の出版を承諾 |
|
8月6日 |
スミス・エルダー社、『教授』の出版を断る |
|
8月24日 |
シャーロット、『ジェイン・エア』をスミス・エルダー社に送る |
|
10月19日 |
『ジェイン・エア』、「カラー・ベル」の匿名でスミス・エルダー社から出版される |
|
12月上旬 |
『嵐が丘』、『アグネス・グレイ』、トマス・コートリー・ニュービー社から出版 |
1848
|
6月 |
『ワイルドフェル・ホールの住人』、ニュービー社から出版 |
|
9月24日 |
ブランウェル死去(享年31歳) |
|
12月19日 |
エミリ死去(享年30歳) |
1849
|
5月28日 |
アン、スカーバラで死去(享年29歳) |
|
10月26日 |
『シャーリー』、スミス・エルダー社から出版 |
1850
|
8月 |
シャーロット、湖水地方、ウィンダミアのブライアリー・クロースにシャトルワース夫妻を訪ね、ギャスケル夫人と出会う |
1853
|
1月 |
『ヴィレット』、スミス・エルダー社から出版 |
1854
|
6月29日 |
シャーロットとニコルズ、ハワース教会で結婚 |
1854
|
3月31日 |
シャーロット死去(享年38歳) |
1857
|
3月25日 |
ギャスケル夫人、『シャーロット・ブロンテの生涯』をスミス・エルダー社から出版 |
|
6月6日 |
『教授』、(シャーロットの)死後出版 |
1860
|
4月 |
『エマ』未完のまま、「コーンヒル・マガジン」に掲載 |
1861
|
6月7日 |
パトリック死去(享年84歳) |
|
以 上
|